Pちゃんブログ

元教員Pちゃんが、主にアドラー心理学的な観点で、生活や人生上の問題に役に立つ考え方を紹介します。

なぜ、テストの点数や学歴にこだわり続けるのか?①

町中は塾だらけ。

なんで時代がここまで変わってきているのに、大人たちはテストの点数やよい学歴にこだわりつづけるんだろう?

 

①経験していないから

「よい学歴があれば幸せになれるなんて幻想だ」

こう言われることは多いのに、行動はそれに基づいていない。

口ではそう言っていても、心の底ではそう思っていないんだろう。

 

難関大学に合格するために

好きなことを我慢し、

「勉強勉強」に限りある若い時間を費やして、

プレッシャーや苦痛をまぎらわすために自分を洗脳する。

ようやく合格できたとしても、その先は天国パラダイスではなかった…

 

このようなことを経験してはじめて、

点数や学歴ばかり追い求めることのデメリットを実感できるのかもしれない。

 

いい大学に合格したことのない人ほどいい大学に憧れを持ち、

自分の人生のうまくいかなさをいい大学に行っていないことのせいにする。

そして、自分の子どもにその夢を託す。

だから何としてでも自分の子どもには「勉強」をさせていい大学に行かせようとする。

暴力、洗脳、虐待という手を使ってでも。

 

このパターンは多い気がする。

ぼくとぼくの親もこのパターンだった。

 

「テストの点数やよい大学にこだわっても幸せにはなれませんよ」

「好きなことを我慢して将来のために今を犠牲にし続けても、将来はどうなるかわかりませんよ?明日死ぬかもしれませんよ?そうなったら後悔するでしょう?」

「勉強じゃなく学びを大切にしましょう」

 

ぼくがこう言い続けても全く伝わらない。

なぜなら人は経験からしか学べないからだ。

ぼくの言っていることをわかってもらうには、

一度勉強して勉強していい大学に合格してみるという経験をするしかないのかもしれない。

 

テスト、学歴にこだわるわけ②

「それ以外の生き方を知らない」というのがあるだろう。(続く)

どんどん逃げよう!

夏休み明けの自殺が多いんだそうだ。

学校なんかのために本当にもったいない。

 

学校がいやなら行かなくていい。

学校なんて行きたければ行けばいい。

マクドナルドとか公園みたいなものだ。

そんなもの行っても行かなくても十分生きていける。

 

世の中には

「逃げちゃダメだ」

 

って言う人がたくさんいる。

これは大間違いだ。

彼らがこういうことを言うのは、洗脳されているからだ。

 

洗脳っていうのは、真実かどうかわからないことを信じ込まされてしまうことだ。

 

カルト宗教って知ってる?

「この宗教、神様、教祖様の言う事を信じないと、あなたは地獄におちますよ」

っていうことを吹き込むんだ。

それを信じてしまった人は、地獄におちるのが怖くて、

その宗教の言いなりになってしまう。

 

 

ちょっと昔の人たちは、今よりもっと強力に国家レベルで洗脳されていた。

ちょっと前まで、日本はでっかいカルト宗教だったんだ。

 

天皇陛下は神様です。

 あなたたちは国のために命を投げ出して戦わなければなりません。

 つまり、戦争に行かなければなりません。

 これを信じてその通りにしないと、恐ろしいこと(逮捕・拷問・死刑
)になりますよ。」

 

こんなことをみんなが信じ込まされていた。

 

戦争がいやならしなくていいんだ。

でも、昔の人はこれを思う事さえ許されなかった。

だから、年配の人ほど洗脳されて、洗脳が解けなくて

「逃げちゃダメだ」とか、「学校に行かなければ将来不安だ」

とか言う人が多いんだ。

 

戦争が終わっても、

「戦争」が「学校」や「会社」に置き換わって

洗脳は色んな形で残っている。

 

「学校には行かなければならない。行かないと恐ろしいことになる」

「ガマンする人はえらくて、しない人はダメだ」

「結婚している人はえらくて、していない人はダメだ」

 

洗脳された人はその洗脳を自分の子どもに受け継いでいく。

 

僕は彼女いない歴37年です。

ダメな人間だって思いますか?

でも、人にはそれぞれの事情があって

多くの人にとって当たり前、簡単なことでも

どうしてもできないことがあるんです。

 

僕は一生懸命頑張ったけど、

どうしても彼女を作ったり恋愛・結婚したりすることができませんでした。

だから僕は「彼女いないといけない」という洗脳から逃げました。

すると、

恋愛や結婚をしないと人生真っ暗だ

って思わなくなりました。

だから死なずに生きています。

時々楽しいこともあります。

 

死ぬほどいやなことからはどんどん逃げよう。

逃げて生きよう。

こんな授業がいい 心の奥に埋もれてしまった「やりたいこと」をさがせ!③

手塚治虫氏の言葉でpower of if」=「『もしの力』が大切だ」というものがある。

 できるできないを抜きにして理想の学び場を考えてみようと思う。

 

○授業の中身は例えばこんなのがいい

 

算数、国語…というのは教育法規で決められた枠組みなんだけど、イメージしやすいので、これを基に考えてみよう。

 

算数はパズルをいっぱいやる。

将棋やクイズなんかもいい。

教育者の天敵、テレビゲームなんかもいい。

 

多くの人にとって、数学の知識そのものが役に立つ場合ってそんなにないんじゃないかな?

そんなの学者か数学教師ぐらいでしょう?

 

数学(算数)の基本って言うのは問題解決だと思う

でも、数学をやることで、問題解決能力、論理的思考力はつくと思う。

だったら、これらの力を楽しく身につけられるのなら、算数・数学にこだわる必要はない。

 

算数・数学はクイズ・ゲームのうちの一つだ。

九九ひとつとっても、それがない世界からしたら、魔法のようにすごい技術なの。

だって、九九がなければ、同じ数ずつものが入った袋の中身の数の合計は、全部1,2,3,4・・・って数えていかなきゃならない。

そんな世界からしたら、一瞬で72や81を数えられるってすごい手品だ。

 

理科は面白実験を毎日する。

社会は、ビジネスを行う。少額でもいいから、自分の力でお金を稼いでみる。

理科でも社会でも、不思議に思ったこと、知りたくなったことを調べることができるように、本とパソコンを使うことができる。研究したことはまとめて、発表する機会を設ける。

 

科目で考えてきたけど、学びの内容は子どもの好きなこと、才能のあることが第一で、科目はそれを分類しただけのものだ。

漫画・工作・スポーツ・料理・音楽のようなこと一日中学んでいてもいい。

 

僕が一番好きだった授業が国語だ。

指導書の中に子どもの気持ちは載っていない。

国語=言葉をどう使うかという学び=生活の中や文章を読んだとき思ったこと、感じたことを遠慮を取り除いて伝え合うことが一番だ。 

そのためにできることは、毎日思いを伝え合う場があること 作文・詩を書くことだ。

内容は面白い、笑えることが一番始めやすい。

先生をネタにしてもいいし、ウンコやチンコもどんどん言ったり書いたりしてよい。

面白い、楽しいことよりもネガティブなものがたまっているなら、それを出し尽くしてもらってもいい。

その下地となるのは、思ったことを何でも言える関係づくりだ。

この人には何でも言える、そう思えるように、子どもの気持ちを汲み取り続けるのだ。

そうして、いい子を脱し、遠慮しない子、ズケズケ言う子になってもらう。 

 

僕はこの実践を学校という制限を外して、していきたいと思っている。

 

詳しく書くにはエネルギーが要るので、今回はここまで。

理想の学び場ー授業は自由参加制 心の奥に埋もれてしまった「やりたいこと」をさがせ!②

〇もし、思い通りに実践できるなら・・・

 

手塚治虫氏の言葉で

「『power of if』=『もしの力』が大切だ」というものがある。

 

自分は、現実に打ちのめされて「もしも、こんな風になったらいいな」と感じる力が弱まっていることに気が付いた。

 

だから、できるできないを抜きにして理想の学び場を考えてみようと思う。

 

〇授業は自由参加制に

まず、授業は自由参加制にする。

色んな教室で授業をやっている、その中から行きたいところに行く。

どれにも参加せずに遊んでいたかったら、ずっと遊んでおく。

 

「そんなことして力が付くんですか?」と言われそうだ。

それに対する答えは次の通りだ。

 

「力が付くかどうかは子ども次第。

 しかし、今の学校のやり方よりは子どもの人生にとってプラスになるでしょう。」

 

そう言える理由① 本人が自分の意志で興味を持ち、学びたいと思ってはじめて学び取ることができる。

 

誰だって興味もないものを学びとることはできない。

現状の学校では無理やり座らせて、無理やり授業を受けさせているけど、

学んでいるように見えるだけ。見た目だけ。

頭の中では、好きなこと、興味のあることに向かっている。

サッカーのこと、アニメのこと、ゲームのこと、おやつのこと、好きな人のこと…

 そうしないと大人がうるさいから、しぶしぶやっているのだ。

 または、ほめられることをエサに大人の喜ぶことをしようとしているだけだ。

(後者の行動パターンを身に着けてしまうと、大人になっても見えない誰かにほめられるための行動をする、見えない誰かに支配される人生を送ることになる)

  

だから、宿題の漢字の書き取りも、工場でものを作るように、パーツごとに分解して書いて、いかに早く終わらせるか、っていうことを考える。

漢字を量産したノートさえあれば大人からごちゃごちゃ言われないんだから。

これは学んでいるとは言えません。

「勉強」をさせられているだけ。

こんなのでは漢字を覚えられはしない。

 

大学入試をもっても、興味を持ち、学びたいと思えば、12年も必要ない。

星山海琳さんという人は、小中高と行かずに過ごしたが、大学に行きたいと思ったとたん、必要な内容を2か月半で習得し、大学に進学したそうだ。

 

 

そう言える理由② 得意なこと、好きなことを伸ばすことに時間とエネルギーを割いた方が、成長、習得の効率がいい。

 

得意なこと、好きなことを伸ばすことに時間とエネルギーを割いた方が、成長、習得の効率がいい。

生きていられる時間には限りがある。

子どもでいられる時間はさらに短い。

その限られた時間をいかに有効に使うかということを考えた方がいい。

なのに、今の教育は、苦手をなくして平均的な能力を育てようとする。

 

得意なことを伸ばすことに集中し、苦手なことは苦手なままでよい。

苦手なことは、得意な人に助けてもらったり教えてもらったらいいんだ。

そして、自分の得意なことで人を助けるんだ。

 

 

そう言える理由③ 嫌いで苦手なことに時間とエネルギーを割くことは、苦しい上に習得の効率が悪くて、もったいない時間の使い方。加えて、さらなるデメリットが。

 

嫌いで苦手なことに時間とエネルギーを割いて、ガマンして「勉強」することは、苦しい上に習得の効率が悪くて、もったいない時間の使い方だ。

 

それだけではない。

このやり方は、心の問題を生み出しやすい。

 

本当は好きじゃない、向いていないのに、ガマンして「勉強」するということは、

「これが好き、これがやりたい」という自分の感情を強烈に抑圧している。

すると、「自分の気持ち、好きなこと、やりたいことがわからない」という状態になるのは当然だ。

僕のように。

僕の場合、「わからない」では済んでいない。

恐怖で支配されていたからか、好きなこと、やりたいことをすると何か恐ろしいことが待ち受けているという感覚が付きまとっている。

僕の人生がうまくいかない大きな要因だ。

でも、こういう状態になっているのって僕だけではないんじゃいかな?

 

 

 

大人の求めるままに、ガマンして、苦しい思いをして、向いていないことを「勉強」して、子どもでいられる時間が終わってしまった。

でも、その割に大して力はつかなかった。

そして、大人になったら、

会社の求めるままに、ガマンして、苦しい思いをして、好きではない仕事をして、定年、働いていられる時間が終わってしまった。

 

このような生き方にしかならない。

一生苦手、ガマンにとりつかれた人生だ。

「何のために生まれて、何をして生きるのか、わからないまま終わる、そんなのはいやだ」よね?

「何が君の幸せ?何をして喜ぶ?わからないまま終わる、そんなのはいやだ」よね?(アンパンマンのマーチより)

 

 

まとめると、

好きなこと、得意なこと、才能のあることを集中して学び、伸ばす。

苦手なことは苦手なままで、得意な人に助けてもらえばいい。

これを達成するための環境が、参加自由の授業。

ということだ。

 

つづく

心の奥に埋もれてしまった「やりたいこと」をさがせ!①

やりたいことがわからなくなっている。

 

「やりたいことを仕事にできる人はごく一握りだ」

なんて言われるけど、そんなことはないと思う。

やりたいことを仕事にしないと、人生の無駄遣いだ。

 

もうすぐ宅急便の仕事を始めるけど、運転したり色んな所に移動するのが好きだし、前の派遣の事務の仕事も、おかしい上司がいただけで、好きではあった。

これらはやりたいことを仕事にしていると言える。

そして、どんな仕事にも誰かの役に立っているはずなので、その貢献感が好きにつながる可能性がある。

少しもやりたくない=以上のような要素が全くないことを仕事にするのは、やめた方がいい。

自分にとっても地獄だし、上達も遅く、価値を生み出しにくい。

限られた人生の時間をもっと価値あることに使った方がいい。

 

じゃあ、一生宅急便をやればいいじゃないか、というと、それも違う。

それ以上にやりたいことがあるからだ。

それは何だろうか?

 

ぼくは教員だった時、一番やりたいことを仕事にできていた。

はずだった。

一緒に遊ぶのも、授業するのも好きだった。

いかに子どもを楽しませるか、って考える。

これが何よりもやりたいことで、大好きで、四六時中考えられることだった。

 

でも、色------んなジャマが入った。

教育基本法をはじめとする教育法規。学習指導要領。

最近導入され始めた、学校ごとの授業マニュアル。(「〇〇スタンダード」などと呼ばれることが多い。)

そして、「となりのクラスと合わせて」「組織なんだからみんなと合わせて」しなきゃいけないという脚の引っ張り。

ほんっと、ジャマ!!

こんなこと言ったらまた自己中とか傲慢とか言われるんだろう。

 

でも、これらは「あれしなきゃならない、これしちゃいけない」ということのオンパレードだ。

しかも、その子のよさを伸ばそうというのではなく、

その決まりを作った人たちの思い通りの子どもを作ろうというもの。

子どもの意志とか、その子がどんな子でどんな才能があって、どんなことが好きで、どんな風に生きて行きたいのか、そういうことは全く関係ないんよね。

 

好きなことを仕事にできていたはずなのに、

子どもの自由を奪って、多大なマイナスを生み出すことしかできないことに気付いた時、

それは全然好きなことではなくなっていた。

好きなことをするためには、この組織から抜ける必要がある。

だから、教員を辞めた。

 

〇もし、思い通りに実践できるなら・・・

手塚治虫氏の言葉で

「『power of if』=『もしの力』が大切だ」

というものがある。

 

自分は、現実に打ちのめされて「もしも、こんな風になったらいいな」と感じる力が弱まっていることに気が付いた。

 

だから、これからできるできないを抜きにして理想の学び場を考えてみようと思う。

 

つづく

 

 

派遣を3か月でクビになった話 まとめー派遣とはー

今回の職場を経験する以前までの「派遣」のイメージは、

「履歴書不要、簡単登録、簡単に仕事を紹介してもらえて便利なシステムだなー」

ぐらいしかありませんでした。

 

世の中のことを知らなかったのです。

こんな世界も知らずにぬくぬくと教員をしていたのです。

いずれ子どもたちが放り込まれる世の中ががどんなものかも知らずに、

「生きる力」を正確に定義できるわけがありません。

(「世の中とはこんなだ」ということがわかってはじめて、「どう生きるか」が考えられる。「どう生きるか」がわかってはじめて、「どのような力が生きる力となるか」考えられる。そのようなプロセスを抜かして算数、国語・・・ということばかり考えても空虚なものにしかならない。)

だから、よい学びを提供するためには、世の中のことを知ることが必要だと思います。

教員は体罰・セクハラ・飲酒運転・犯罪さえしなければ、クビになることはまずありません。そんな狭~い世界を出て知れたことをまとめていきたいと思います。

 

〈今回派遣をしてわかったこと〉

①派遣とは、簡単にクビを切るためのシステムである

 

「派遣と対話するなんていう手間をかけることはできない。」

「派遣先が更新しないと言ったら、それでもう更新しません。」

この言葉でわかるように、派遣とは合法的に簡単にクビを切ることができるのです。

 

「コイツ何かちょっと気に食わねえなー」→「はい、クビ」

本来こういったことは、不当解雇という違法行為。

でも、その違法行為を合法的にできる。

そのためのシステム。

 

言わば、使い捨てです。

使い捨てというのは、ティッシュや紙おむつ、紙皿、こういったものです。

これに対して、使い捨てでないものというと、

ハンカチや布おむつ、陶器の皿といったものです。

 

ハンカチ、布おむつ、陶器の皿は、汚れたら洗ってまた使います。

しかし、汚れたティッシュや紙おむつを洗ったりはしません。

便利ですね。

それと同じように、

派遣との対話にかける手間や時間はない

ということなのです。

使い捨て労働ロボットといった感じなのでしょう。

 

私は一緒に仕事をするなら、対話が大切だと思っています。

対話とは、互いがどのような考えや要求を持っているか伝え、理解し合う事です。

だから、私はもうやむを得ない場合を除いて、二度と派遣はしたくありません。

 

〇派遣会社の人間の言うことは嘘ばっかりです。決して信用してなりません。

去年、他の派遣会社でも似たような嫌な思いをたっぷりしてきました。

間違いなく言えることがあります。

それは、派遣会社の人間の言うことは嘘ばかり、ということです。

 

「次のお仕事を紹介します」と言われて紹介された試しがありません。

「ご連絡差し上げますので少々お待ちください」と言われたら、連絡が来るものと思って待つでしょう?

しかし、待てども待てども連絡は来ません。来た試しがありません。

 

「派遣先の仕事がなくなった」とか言って求人サイトでは求人広告があるとか。

複数の仕事にエントリーしても「どの仕事も他の人で話が進んでいる」とかいっていたのに、私の経歴を見たとたん「空きが出ました!」と急に空きがたくさん出るとか。

面接に行って「すばらしいです!Pちゃんのサポートをさせていただきたいです!今回のお仕事がご紹介できなくても、他のお仕事を紹介させていただきます!°˖✧(⁰▿⁰)キラキラ」とかいって一切連絡なしとか。

ブラックリストはありませんよ」とか。

 

どれもこれもウソに決まってるじゃないか!!

 

なぜこんなにウソばかり平気でつくのか?

それはおそらく・・・

派遣会社はたくさんの交換用ロボットを(派遣スタッフ)をストックしておく必要があるからです。

派遣は簡単にクビを切るためのシステムです。

クビを切ったら、次のスタッフを送り込まなければなりません。

おむつが汚れたら次の紙おむつを用意しなければならないように。

そのためには、

次の交換用ロボットを(派遣スタッフ)を用意しておく必要がある。

派遣を始めるときは結構簡単に始めることができます。

このわけは、ストックをたくさんしておくためです。

そして、都合が悪くなればどんどん交換するのです。

 

〇どうすればいいのか?

私は今回、収入源を得て、何年か働き、少しでも貯金を増やしたいと思って始めました。

 

しかし、長く勤めたい、ということを求めるなら

正社員、アルバイト、パート

にした方がいいです。

 

 

派遣をするなら

・短期の仕事としてすること。長期の仕事と言われても、「長期になるかもしれない、短期の仕事」と思うこと

 

・セクハラ、パワハラ、違法行為…どんな理不尽な扱いを受けても

 「はい、わかりました(*^-^*)ニコニコ」

 と言ってガマンし続け、派遣先の人の求めることをテレパシーで感じ取り、ご機嫌を取らないとクビになる。

こうわかった上ですることです。

 

しかし、最善なのはやはり、

「雇われないで、自分の力で稼ぐ力をつける」

これだと思います。

 

今回「雇われることのリスク」というものを再確認しました。

またこれから書いていこうと思います。

派遣を3か月でクビになった話④ 結末

〈この3か月の間に体験したこと④〉

不当解雇ではないか、と思い調べた結果、雇い止めの理由明示書を請求することにしました。

 

ちょうどこの電話の後、契約書の端にちっちゃーーーーい字で、更新する基準が書かれていることを発見しました。

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これで、更新するかどうか判断する基準は示されていたが、私がちゃんと見ていなかった、ということにされてしまうでしょう。

理由明示を求めても、(3)の「態度」あたりにあてはめられてしまいそうです。

これで勝算はゼロだとわかりました。

 

それでも、どのような反応を見せるか、どのような理由を出してくるのか見てみたかったので、派遣会社の担当営業に

「今回の雇い止めの理由明示書を請求します。『コミュニケーションがとれない』とのことだが、具体的にどのような事実を指してのことなのか、更新の判断基準のどれに該当するのかの明示もお願いします。」

とメールを送りました。

 

土日を挟んで1日、2日、メールの返信はありませんでしたが、いつもの如く、突然派遣会社の人がやってきました。

しかも、今回は、私にわからないように、そーっとやってきました。(が、やって来るのを目撃しました。)

やって来ると同時に課長、課長補佐、係長がただ事ではない様子で担当営業の所へ吸い寄せられていき、足早に会議室に入っていきました。(はじめ、お偉いさんが来たのかな?思いました。)

 

後ほど私が呼ばれ、担当営業と2人になりました。

営業「理由ということなんですが・・・」

P「はい。」

営業「チームワークがとれない、連携ができない、ということなんですが・・・」

P「はい。で、それは具体的にどのような事実を指しているんですか?」

営業「うーん・・・『お知らせ』を勝手に作ったんですか?」

P「ん??何のことですか?何の『お知らせ』ですか?」

営業「私も現場にいないのでわからないんですが・・・」

P「えっ・・・わからないことを僕におっしゃってるんですか?」

はっきりした答えが出てきません。

営業「とにかくうまくいっていないのは確か」

  「一人一人に調査をしなければいけなくなります。そんなことをしてPちゃんのキャリアにどんなプラスになるんですか!?(怒)」

営業はだんだん怒り出しました。

ついには、

「(雇い止めの理由が具体的がにどんな事実を指してのものなのかは)明確には言えません」

と言いました。

そして、もう一つの質問、「更新はどのような判断基準によって判断されているのですか?」に対しては

「派遣先が受け入れないと言えば更新しない」

と言いました。

私は、これが派遣の本質なんだ、とわかりました。

 

営業は参ったのか、課長、課長補佐を呼んでもらって4人で話すことになりました。

すると、先ほどの「お知らせ」の中身がわかりました。

以前(結構前)係長ではない、担当の職員さんに私が気付いたこと提案したことがありました。

いつもお客さんが来庁時に必要な書類が案内に書いておらず、当然持ってきていない、申し込みもできないので、それを案内に付け足したらいいのでは?という提案です。

するとその職員さんは喜んで私に「作って!」と言われたので、僕は案内文を作ったのです。

完全にこの組織、お客さんへの好意です。

でも、それもいけなかったというのです。

それは係長に聞いてほしかったというのです。

前は聞かずに分かってほしかった、と怒り出した係長、今回は聞いてほしかった、と。

またもやテレパシー不足です。

私のやることなすこと全てがいけない、ということみたいです。

 

しかし、その後、課長補佐が言ってくれた言葉で僕はスッキリしました。

「Pちゃんがそのように言う気持ちはわかる。もしPちゃんが職員で、僕が係長だったら『2人で飲みに行って話しよう』と言う。職員だったら時間をかけてそういうことができる。でも、派遣は短期間しかいないから時間をかけるいうこともできないし、それにPちゃんはあの係長とやっていってもらわなければいけない。僕は組織を回していかなければならない。そうなると、係長の言うことを聞くしかない。」

やっと偽りのない、実のある言葉が聞けたなと思いました。

課長、課長補佐は何度も「申し訳ない」と言ってくださいました。

課長、課長補佐の対応、言葉には誠意を感じました。

それに、今回のことを通して、私は派遣の仕組みというものがよくわかりました。

だから、理由明示書の請求もここまでにし、私はクビになることをスッキリとした気持ちで受け入れることにしたのでした。

 

この3か月で体験したこと おわり