心の奥に埋もれてしまった「やりたいこと」をさがせ!①
やりたいことがわからなくなっている。
「やりたいことを仕事にできる人はごく一握りだ」
なんて言われるけど、そんなことはないと思う。
やりたいことを仕事にしないと、人生の無駄遣いだ。
もうすぐ宅急便の仕事を始めるけど、運転したり色んな所に移動するのが好きだし、前の派遣の事務の仕事も、おかしい上司がいただけで、好きではあった。
これらはやりたいことを仕事にしていると言える。
そして、どんな仕事にも誰かの役に立っているはずなので、その貢献感が好きにつながる可能性がある。
少しもやりたくない=以上のような要素が全くないことを仕事にするのは、やめた方がいい。
自分にとっても地獄だし、上達も遅く、価値を生み出しにくい。
限られた人生の時間をもっと価値あることに使った方がいい。
じゃあ、一生宅急便をやればいいじゃないか、というと、それも違う。
それ以上にやりたいことがあるからだ。
それは何だろうか?
ぼくは教員だった時、一番やりたいことを仕事にできていた。
はずだった。
一緒に遊ぶのも、授業するのも好きだった。
いかに子どもを楽しませるか、って考える。
これが何よりもやりたいことで、大好きで、四六時中考えられることだった。
でも、色------んなジャマが入った。
教育基本法をはじめとする教育法規。学習指導要領。
最近導入され始めた、学校ごとの授業マニュアル。(「〇〇スタンダード」などと呼ばれることが多い。)
そして、「となりのクラスと合わせて」「組織なんだからみんなと合わせて」しなきゃいけないという脚の引っ張り。
ほんっと、ジャマ!!
こんなこと言ったらまた自己中とか傲慢とか言われるんだろう。
でも、これらは「あれしなきゃならない、これしちゃいけない」ということのオンパレードだ。
しかも、その子のよさを伸ばそうというのではなく、
その決まりを作った人たちの思い通りの子どもを作ろうというもの。
子どもの意志とか、その子がどんな子でどんな才能があって、どんなことが好きで、どんな風に生きて行きたいのか、そういうことは全く関係ないんよね。
好きなことを仕事にできていたはずなのに、
子どもの自由を奪って、多大なマイナスを生み出すことしかできないことに気付いた時、
それは全然好きなことではなくなっていた。
好きなことをするためには、この組織から抜ける必要がある。
だから、教員を辞めた。
〇もし、思い通りに実践できるなら・・・
手塚治虫氏の言葉で
「『power of if』=『もしの力』が大切だ」
というものがある。
自分は、現実に打ちのめされて「もしも、こんな風になったらいいな」と感じる力が弱まっていることに気が付いた。
だから、これからできるできないを抜きにして理想の学び場を考えてみようと思う。
つづく