「和、協調性、我慢」より対話を
職場なんかでは理不尽なこと、納得がいかないこと、ってありますよね?
私はそういうときに、言いたいことを我慢しません。必ず相手に言います。
丁寧な言葉で、冷静に、はっきりと言います。
よく
「『和』『協調性』を持て」
「みんなと合わせて」
と言う人がいます。
私はこの言葉が大嫌いです。
本当に周りのみんなのことが好きで、誰とでも仲良く、明るく愛想が良い人って確かにいます。
しかし、職場なんかには
- 権力を利用したハラスメントをする人
- 思い通りにならなかったら怒って当たり散らす人
のように、支配的で、理不尽な思いを強いてくる人が多かれ少なかれいます。
上記の言葉は、
「そういう理不尽なことがあっても、我慢してニコニコしていろ」という意味が含まれています。
だから、私は上記の言葉が嫌いなのです。
私は、このようなときに、我慢ではなく、キレるのでもなく、対話が大切だと思っています。
この言葉を言ってくる人は、対話を知らない人、支配的な人です。
自分も支配され、我慢しているから、「我慢しないヤツはずるい!」と思って言ってくるのかもしれません。
構成員に「和」「協調性」を持ってもらうことは、集団のトップの人にとって都合がいいです。
集団の構成員がトラブルを起こすと、面倒で厄介です。
だから、小学校の教師には未だに「みんななかよし」なんてクラス目標を掲げている人がいます。
大抵その「みんななかよし」の文字は、黒板の上の飾りにしかなっていませんが。
対話(ダイアローグ)というのは、互いの思いの違いを話し、聞き合う、理解し合うことです。
この1年いくつかの職場に行きましたが、対話のできる職場、対話のできる人に会ったことがありません。
必要に駆られて対話をしようとしても、怒り出す人ばかりです。
その人たちの神経回路には対話の逆、モノローグしかないのでしょう。
一方的に言ったことに対して、私の反応が「はい、わかりました」以外だとご不満なようなのです。
どんなに丁寧に言っても「目下の若造くせに生意気な!」と感じるのでしょう。
対話のできる人と建設的に仕事をしていきたいです。
対話についてはまた後ほど書きたいと思います。