Pちゃんブログ

元教員Pちゃんが、主にアドラー心理学的な観点で、生活や人生上の問題に役に立つ考え方を紹介します。

「和、協調性、我慢」より対話を

職場なんかでは理不尽なこと、納得がいかないこと、ってありますよね?

私はそういうときに、言いたいことを我慢しません。必ず相手に言います。

丁寧な言葉で、冷静に、はっきりと言います。

 

よく

「『和』『協調性』を持て」

「みんなと合わせて」

と言う人がいます。

私はこの言葉が大嫌いです。

 

本当に周りのみんなのことが好きで、誰とでも仲良く、明るく愛想が良い人って確かにいます。

しかし、職場なんかには

  • 権力を利用したハラスメントをする人
  • 思い通りにならなかったら怒って当たり散らす人

のように、支配的で、理不尽な思いを強いてくる人が多かれ少なかれいます。

 

上記の言葉は、

「そういう理不尽なことがあっても、我慢してニコニコしていろ」という意味が含まれています。

だから、私は上記の言葉が嫌いなのです。

 

私は、このようなときに、我慢ではなく、キレるのでもなく、対話が大切だと思っています。

 

この言葉を言ってくる人は、対話を知らない人、支配的な人です。

自分も支配され、我慢しているから、「我慢しないヤツはずるい!」と思って言ってくるのかもしれません。

 

構成員に「和」「協調性」を持ってもらうことは、集団のトップの人にとって都合がいいです。

集団の構成員がトラブルを起こすと、面倒で厄介です。

だから、小学校の教師には未だに「みんななかよし」なんてクラス目標を掲げている人がいます。

大抵その「みんななかよし」の文字は、黒板の上の飾りにしかなっていませんが。

 

対話(ダイアローグ)というのは、互いの思いの違いを話し、聞き合う、理解し合うことです。

この1年いくつかの職場に行きましたが、対話のできる職場、対話のできる人に会ったことがありません。

 

必要に駆られて対話をしようとしても、怒り出す人ばかりです。

その人たちの神経回路には対話の逆、モノローグしかないのでしょう。

一方的に言ったことに対して、私の反応が「はい、わかりました」以外だとご不満なようなのです。

どんなに丁寧に言っても「目下の若造くせに生意気な!」と感じるのでしょう。

 

対話のできる人と建設的に仕事をしていきたいです。

対話についてはまた後ほど書きたいと思います。