「いじりって必要?」への答え→○○を学ぼう!
いじりって必要?
という道徳の授業をNHKの「いじめをノックアウト」でやっていた。
答えは
「関係性による。」だ。
いじりをする側、される側がよい関係性なら関係をさらによくするし、その逆も然り。
それを「クラスのきまり」とかいって「いじりはいけません」なんてやるからおかしいことになる。
対話をしよう。
いやなら「やめて」と言う。
言えない人もいる、確かにその通りだが、言えるように努力しよう。絶対的に言えた方がいい。
いじりをする側も、相手がいやじゃないか常に気にしながらやろう。
このように、互いが「理解する努力」と「伝える努力」をすることが対話。
ちなみに、対話ができている大人はほとんどいないと思う。
学校のやり方は子どもがどう思っているかより、どうしなければならないか、が優先だ。
子どもがどう思っていようと「こうしなさい」と押し付けたり、大人側の思いをいかにのみこんでもらおうかと「説得」したりする。
子どもが思っていることを主張すると「反抗的だ」と怒り出す。
「いじりはやめなさい」と一方的に「きまり」を作るのも同じ。対話的ではない。
ほとんどはこのような状況だろう。
大人が対話を学ばないまま道徳の授業をいくらやってもクラスの関係性はよくならない。
大人が対話を学び、子どもに手本として見せる、子どもがそれを学ぶ、というプロセスで対話を学ぶことがよい関係性づくりにつながるのだ。