ブログタイトル「勉強なんてしなくたっていいじゃないか!」
このブログは
「"勉強"なんてしなくたっていいじゃないか!」
というタイトルです。
僕は学ぶことが大好きです。
だから、「〇〇勉強会」とか研修とかセミナーに行くことも多いです。
でも、そこでは
「勉強になりました」とか
「○○を勉強してます」とか
「○○勉強会」とか
みなさん、本当によく「勉強」って言葉を使います。
本当に「勉強」がお好きなようです。
子どもには
「勉強しなさい」とか
「勉強しないと将来心配よ」とか言うし、
学校では教師は
「これから○時間目の勉強を始めます」とか言わせます。
僕はこれがすごーーーく気になってしまいます。(普段いちいち言いませんけど。)
この言葉を聞くたびに、日本の教育の病巣を感じてしまうのです。
〇「勉強」とは何でしょうか?
そもそも、勉強って何でしょうか?
・算数や国語などの授業を受けたり、宿題をしたり、テストの点数を上げるための暗記や問題練習をすること
・机に向かってノートと問題集に一生懸命向き合うこと
・その職業に必要なことを覚えることや研修を受けること
こんなイメージでしょうか?
ところで、勉強という言葉には「強」という字が使われているのですが、これはなぜでしょうか?
言葉の成り立ちを見てみましょう。
ー勉強は「勉める」ことを「強いる」ことで、本来は気が進まないことを仕方なくする意味であった。商人が頑張って値引きをする「勉強」は江戸時代から使われている。明治以降、知識を得るために努力することが美徳とされ、「勉強」と「学習」が同じ意味で使われるようになった。ー(参考 語源由来辞典)
勉強の「強」は、「強いる」=「いやなことを無理やりガマンしてさせる」という意味だったのです。
強要、強制、強行、強姦・・・「強」の字のつく言葉は、「無理やり何かする」という意味になり、勉強もこれらの言葉の仲間なのです。
実際、子どもたちはこの言葉通り、学びたくもないことを無理やり学ばされています。
勉強とは学びの強制のことなのです。
先に僕は学ぶことが大好きだと書きました。
なのに、ブログタイトルは「勉強なんてしなくてもいい」です。
これっておかしいでしょうか?
僕は「勉強」と「学び」は正反対だと思っています。
「学び」は好きです。
でも、「勉強」は嫌いだし、必要ありません。
きっと、子どもたちだって同じように思っているはずです。
確かに今は明治より後の時代なので、みなさん「勉強」と「学び」を同じ意味で使っています。
しかし、みなさん圧倒的に「学び」ではなく「勉強」という言葉を連呼します。
このことから感じるのは、現代において、「学び」は「強制」に基づいている,
ということです。
現在の教育界に様々な問題を引き起こす大きな要因がこの「勉強」と「学び」の混同、そして、子どもには「勉強」をさせることを根本に教育のシステムが出来上がっていることにあるのだと、僕はこれまでの体験を通して気づいたのです。
なので、これから、このブログでは、「勉強」と「学び」を別のものだという意味ではっきり分けて書いていきたいと思います。