脱出大好き
脱出は楽しい
脱出はワクワクだ
脱出はクリエイティブだ
脱出した先の、外の世界は輝いている
子どものころ、ぼくは無理矢理勉強させられていた。
公文式のプリントをいやがってやらないと、父からは殴られ、蹴られ、家を追い出されて鍵をかけられた。
ぼくが小学生になったときくらいから、母は公文の先生をはじめ、ぼくは一緒に教室に連れて行かれた。教室の空いている時間中、何時間も教室でプリントをやらされた。
プリントは早く終わらせられるときもあったが、
どうしてもいやで、手が全く動かないときもよくあった。
そのときは、オリの中に閉じ込められているような、手足が縄で縛られているような、窒息するような苦しさを感じた。
そんな苦しさに耐えきれなくなったぼくは、よく教室から脱出した。
教室は団地の集会所を借りてやっていた。
公文の部屋から出ると、給湯室があって、給湯器には触手のような管がついていた。
給湯器をいじくり回すと、その管から水が出てきた!
外に出ると、団地にくっついた広場や商店が軒を連ねていた。お金は持っていなかったが、お店に入って売っているものを観察した。
そこに並んでいる自動販売機にたまらなくワクワクした。
木みたいに地面からにょきにょき生えていて、中にジュースがいっぱい入っている。
大好きなコーンポタージュスープや、そのときは知らなかった「おしるこ」なるものまである。
素敵すぎる…
お金を入れなくてもこのボタンを押すだけでジュースがどれでも、いくらでも出てきたらどんなにいいだろう…
その先にもずんずん進んでいった。
歩道橋に続く螺旋階段がある。
それを「まきまきうんこの階段」と名付けた。
だんだん教室から離れて、迷って帰れないかもしれない、という不安が少しずつ沸き上がってくる。
でも、その不安は、ワクワクのスパイスになった。
螺旋階段を登って歩道橋を渡ると、別の団地の敷地に入る。
高台になっていて、きれいな景色を見下ろすことができた。
なんと、そこに遊具を発見した!
シーソーや、動物の姿の乗り物にのって遊んだ。
何度もそういう脱出を繰り返していると、地元の子と顔見知りになってきたり、頭の中に地図が描けるようになってくる。
そんな脱出した先の世界は、キラキラと輝いていた。
しかし、楽しい冒険が終わり、家に帰る車の中は地獄のようだった。
プリントをせず脱出するぼくに対して、母は、帰るまでの道中ずっと、くどくどくどくど説教をし続けた。
そんな中、一度、母は異常な行動をとったことがある。家に帰る道から外れているのだ。
おかしいな、と思ったぼくは「どこ行くの?」と聞いた。しかし、母は返事をしない。だんだん恐ろしくなってきた。気がついたら、どこともわからない道を凄まじいスピードで走っていた。スピードメーターを見ると、「120km」を指していた。死の恐怖で体が硬直した。
母は精神を病んでいたのだと思う。
ぼくの脱出好きは、そのときから今までずっと続いている。旅は日常からの脱出だし、仕事も同じ環境や内容を続けることはせず脱出する。
ぼくにとっての脱出は、病みから逃れて精神を浄化すること、オリから逃れて出会いや発見の喜びを得ることなのだ。