こんな授業がいい 心の奥に埋もれてしまった「やりたいこと」をさがせ!③
手塚治虫氏の言葉で「power of if」=「『もしの力』が大切だ」というものがある。
できるできないを抜きにして理想の学び場を考えてみようと思う。
○授業の中身は例えばこんなのがいい
算数、国語…というのは教育法規で決められた枠組みなんだけど、イメージしやすいので、これを基に考えてみよう。
算数はパズルをいっぱいやる。
将棋やクイズなんかもいい。
教育者の天敵、テレビゲームなんかもいい。
多くの人にとって、数学の知識そのものが役に立つ場合ってそんなにないんじゃないかな?
そんなの学者か数学教師ぐらいでしょう?
数学(算数)の基本って言うのは問題解決だと思う
でも、数学をやることで、問題解決能力、論理的思考力はつくと思う。
だったら、これらの力を楽しく身につけられるのなら、算数・数学にこだわる必要はない。
算数・数学はクイズ・ゲームのうちの一つだ。
九九ひとつとっても、それがない世界からしたら、魔法のようにすごい技術なの。
だって、九九がなければ、同じ数ずつものが入った袋の中身の数の合計は、全部1,2,3,4・・・って数えていかなきゃならない。
そんな世界からしたら、一瞬で72や81を数えられるってすごい手品だ。
理科は面白実験を毎日する。
社会は、ビジネスを行う。少額でもいいから、自分の力でお金を稼いでみる。
理科でも社会でも、不思議に思ったこと、知りたくなったことを調べることができるように、本とパソコンを使うことができる。研究したことはまとめて、発表する機会を設ける。
科目で考えてきたけど、学びの内容は子どもの好きなこと、才能のあることが第一で、科目はそれを分類しただけのものだ。
漫画・工作・スポーツ・料理・音楽のようなこと一日中学んでいてもいい。
僕が一番好きだった授業が国語だ。
指導書の中に子どもの気持ちは載っていない。
国語=言葉をどう使うかという学び=生活の中や文章を読んだとき思ったこと、感じたことを遠慮を取り除いて伝え合うことが一番だ。
そのためにできることは、毎日思いを伝え合う場があること 作文・詩を書くことだ。
内容は面白い、笑えることが一番始めやすい。
先生をネタにしてもいいし、ウンコやチンコもどんどん言ったり書いたりしてよい。
面白い、楽しいことよりもネガティブなものがたまっているなら、それを出し尽くしてもらってもいい。
その下地となるのは、思ったことを何でも言える関係づくりだ。
この人には何でも言える、そう思えるように、子どもの気持ちを汲み取り続けるのだ。
そうして、いい子を脱し、遠慮しない子、ズケズケ言う子になってもらう。
僕はこの実践を学校という制限を外して、していきたいと思っている。
詳しく書くにはエネルギーが要るので、今回はここまで。