理想の学び場ー授業は自由参加制 心の奥に埋もれてしまった「やりたいこと」をさがせ!②
〇もし、思い通りに実践できるなら・・・
手塚治虫氏の言葉で
「『power of if』=『もしの力』が大切だ」というものがある。
自分は、現実に打ちのめされて「もしも、こんな風になったらいいな」と感じる力が弱まっていることに気が付いた。
だから、できるできないを抜きにして理想の学び場を考えてみようと思う。
〇授業は自由参加制に
まず、授業は自由参加制にする。
色んな教室で授業をやっている、その中から行きたいところに行く。
どれにも参加せずに遊んでいたかったら、ずっと遊んでおく。
「そんなことして力が付くんですか?」と言われそうだ。
それに対する答えは次の通りだ。
「力が付くかどうかは子ども次第。
しかし、今の学校のやり方よりは子どもの人生にとってプラスになるでしょう。」
そう言える理由① 本人が自分の意志で興味を持ち、学びたいと思ってはじめて学び取ることができる。
誰だって興味もないものを学びとることはできない。
現状の学校では無理やり座らせて、無理やり授業を受けさせているけど、
学んでいるように見えるだけ。見た目だけ。
頭の中では、好きなこと、興味のあることに向かっている。
サッカーのこと、アニメのこと、ゲームのこと、おやつのこと、好きな人のこと…
そうしないと大人がうるさいから、しぶしぶやっているのだ。
または、ほめられることをエサに大人の喜ぶことをしようとしているだけだ。
(後者の行動パターンを身に着けてしまうと、大人になっても見えない誰かにほめられるための行動をする、見えない誰かに支配される人生を送ることになる)
だから、宿題の漢字の書き取りも、工場でものを作るように、パーツごとに分解して書いて、いかに早く終わらせるか、っていうことを考える。
漢字を量産したノートさえあれば大人からごちゃごちゃ言われないんだから。
これは学んでいるとは言えません。
「勉強」をさせられているだけ。
こんなのでは漢字を覚えられはしない。
大学入試をもっても、興味を持ち、学びたいと思えば、12年も必要ない。
星山海琳さんという人は、小中高と行かずに過ごしたが、大学に行きたいと思ったとたん、必要な内容を2か月半で習得し、大学に進学したそうだ。
そう言える理由② 得意なこと、好きなことを伸ばすことに時間とエネルギーを割いた方が、成長、習得の効率がいい。
得意なこと、好きなことを伸ばすことに時間とエネルギーを割いた方が、成長、習得の効率がいい。
生きていられる時間には限りがある。
子どもでいられる時間はさらに短い。
その限られた時間をいかに有効に使うかということを考えた方がいい。
なのに、今の教育は、苦手をなくして平均的な能力を育てようとする。
得意なことを伸ばすことに集中し、苦手なことは苦手なままでよい。
苦手なことは、得意な人に助けてもらったり教えてもらったらいいんだ。
そして、自分の得意なことで人を助けるんだ。
そう言える理由③ 嫌いで苦手なことに時間とエネルギーを割くことは、苦しい上に習得の効率が悪くて、もったいない時間の使い方。加えて、さらなるデメリットが。
嫌いで苦手なことに時間とエネルギーを割いて、ガマンして「勉強」することは、苦しい上に習得の効率が悪くて、もったいない時間の使い方だ。
それだけではない。
このやり方は、心の問題を生み出しやすい。
本当は好きじゃない、向いていないのに、ガマンして「勉強」するということは、
「これが好き、これがやりたい」という自分の感情を強烈に抑圧している。
すると、「自分の気持ち、好きなこと、やりたいことがわからない」という状態になるのは当然だ。
僕のように。
僕の場合、「わからない」では済んでいない。
恐怖で支配されていたからか、好きなこと、やりたいことをすると何か恐ろしいことが待ち受けているという感覚が付きまとっている。
僕の人生がうまくいかない大きな要因だ。
でも、こういう状態になっているのって僕だけではないんじゃいかな?
大人の求めるままに、ガマンして、苦しい思いをして、向いていないことを「勉強」して、子どもでいられる時間が終わってしまった。
でも、その割に大して力はつかなかった。
そして、大人になったら、
会社の求めるままに、ガマンして、苦しい思いをして、好きではない仕事をして、定年、働いていられる時間が終わってしまった。
このような生き方にしかならない。
一生苦手、ガマンにとりつかれた人生だ。
「何のために生まれて、何をして生きるのか、わからないまま終わる、そんなのはいやだ」よね?
「何が君の幸せ?何をして喜ぶ?わからないまま終わる、そんなのはいやだ」よね?(アンパンマンのマーチより)
まとめると、
好きなこと、得意なこと、才能のあることを集中して学び、伸ばす。
苦手なことは苦手なままで、得意な人に助けてもらえばいい。
これを達成するための環境が、参加自由の授業。
ということだ。
つづく