Pちゃんブログ

元教員Pちゃんが、主にアドラー心理学的な観点で、生活や人生上の問題に役に立つ考え方を紹介します。

表面ばかりで判断しないで②-「いいね!」の中身ー

Facebookの「いいね!」の数も表面上のことです。
本当に大事なのは、いいね!の中身です。

 

僕は偉そうかもしれませんけど、心は結構弱いんです。
(知恵とトレーニングで強くなってきましたが、20歳ぐらいのときはスライムのような弱さでした。)

僕の場合、記事によって「いいね!」の数に大きく差があります。

前はいっぱいついたのに、今回は全くつかない・・・そんなとき、良くないことを書いてしまったのではないか、と感じてしまっていたのです。

それが気になってしまって、Facebookが嫌になっていた時期があります。

 

〇どちらがいい記事?

記事A            記事B

f:id:p-chanchang:20180328103647p:plain      f:id:p-chanchang:20180328103738p:plain

例えば、上のように「いいね!」が1の記事Aと、103の記事Bがあります。

記事Aは良くなくて、記事Bは良い

そんな風に感じてしまうのは僕だけじゃないでしょう。

でも、果たして本当にそうなんでしょうか?

 

〇「いいね!」の中身

どうも、見ていると、

「こんないいことありました~\(^o^)/ キラキラ~」という記事、ライトな記事、ポジティブな記事は「いいね!」が付きやすく、

本音、考えを述べた記事、読むのに手間がいる記事、問題に向き合った記事は「いいね!」が付きにくいように思います。

 

みなさん、どのような動機で「いいね!」をクリックするのでしょうか?

上記の現象を考えてみると、

どうも多くの人はその名の通り、しっかり読み込まないでも「なんとなくいい感じ」がするときに軽くポチッと押すのだと思います。

 

ということは、同じ「いいね!」でも、その内容は違うということが言えます。

 

だとしたら、

①いいね!が1つ2つでも、「ものすごくよかった、役に立った」という一人がいる記事
②「なんとなくいい感じだねー」というぐらいの人や社交辞令的な「いいね!」がたくさんある記事

 

この2つなら、僕は①のような記事がいい記事だと思いますし、そのような記事を書いていきたいです。


でも、①か②かを見分けることは難しいです。
だから、数の大小という表面上の価値に振り回されてしまいます。

 

〇「わからないこと」が「わかる」メタ認知

ミクシィというSNSをやっていました。
ミクシィには足跡という機能がありました。

ミクシィには「いいね!」がなく、コメントしかありませんでした。

コメントするには「いいね!」するよりエネルギーを使って考える必要があります。

だから、「足跡はあるが、コメントがない」という人がたくさんいたのです。

僕は、この「足跡はあるが、コメントがない」人が何を考えているのかわからなくて、だんだん怖く、気持ち悪くなってきて、ミクシィを辞めてしまいました。

わからなくて当然なのに。

 

こう考えると、ネット上の情報って結構表面上のものが多いです。

でも、ネットでは「もともと表面上のことしかわからない」ということを「わかっている」と、怖さ、気持ち悪さも軽減します。

 

「勉強」がわからないという子の本質は「何がわからないかわからない」という状態です。

「何がわからないかわかる(メタ認知と言うそうです)」と、問題の8割9割は解決だと言われます。

表面ばかりで判断しないためには、このメタ認知力がカギの一つになりそうです。