表面ばかりで判断しないで③-数字の功罪、多数決発想ー
〇数は便利。でも・・・
あるミュージシャンがいました。
あるコンサートの日、会場を見ると、客の入りがガラガラでした。
彼はそれに腹を立て、コンサートをせずに帰ってしまったそうです。
これって、残念なことです。
例えば、100人入りの会場に10人しか入っていなかったとします。
ミュージシャンの目には
「90も空席がある!!(;´Д`)」
と映るでしょう。
しかし、その10人のお客さんは、そのミュージシャンの音楽が聴きたくて、時間とお金を使って来てくれているのです。
90の空席よりも、10のお客さんの気持ちのありがたさを感じられればよかったのに、その10人のお客さんは、存在を認識さえしてもらえませんでした。
この10人の気持ちという価値を見逃すのは残念です。
もったいないです。
価値は90と10という数の大小では簡単に比較できないのです。
〇数字で人を判断することの功罪
数字は便利です。
「今日はあったかいよ」「いや、寒いよ」
と言うより、
「今日は気温が15℃だよ」
と数字で表す方が客観性が生まれます。
物の価値も人によって違います。
「この品物はいいものだよ」「いや、そんないいものじゃないよ」
というやり取りをいちいちしていては大変です。
「この品物は1000円だよ」
と、価値を数字で表す方が、曖昧な価値というものをはっきり認識できるようになります。
曖昧なものがはっきりすると安心します。
ところが、社会は人も数字で判断しようとします。
頭の良さ
「あの人は頭いいよ」
と言うより、
「あの人はテストで90点取れるよ。偏差値70の学校卒だよ。IQ130だよ」
と言う方が頭の良さという曖昧なものをはっきり認識でき・・・・たような気になります。
しかし、頭の良さにも色々な種類があります。
判断力、知識、記憶力、洞察力、論理力、表現力、理解力・・・・
先ほどの数字は、ある程度の頭の良さは反映しているのかもしれませんが、
本質はその数字を測るペーパーテストへの対応力に過ぎません。
これらの数値が本当に頭の良さを表しているのかは疑問です。
なのに、これらの数字で人を判断する人の多いこと!
だから、みんな、これらの数字を稼ぐために躍起になることが生きる力をつける教育だ、という認識になります。
〇「数が多い=正しい」多数決発想の誤り
意見や考えの価値も数字で判断されます。
民主主義の基本、多数決というものです。
その意見に賛成する、「いいね!」と思う人の人数だけで価値を判断します。
「人数が多い」のが「良い」わけではない、というのは、前の記事のナチス・ヒトラーの例で書いた通りです。
数が多い、多数派というだけで力を持つのが民主主義です。
みんな独裁は悪くて民主主義は良いということに疑問を持ちません。
しかし、多数派が判断を間違うとナチス・ヒトラーを生み出すのです。
民主主義は、独裁における一人の権力者の権力が多数派の人々に移っただけなのです。
このように、「多数決は正しいにちがいない」という多数決発想は、表面上だけで判断する、誤った認識のもとです。
前の記事のFacebookの記事の価値を「いいね!」の数で判断するのも多数決発想です。
人を数字で判断し、多数決発想でいれば
わからないことをわかったような感覚を抱き、安心感があります。
しかし、偏差値、いいねの数、多数決・・・
数字は一つの測定法による一つの側面、つまり表面上のものでしかありません。
錯覚である可能性が大いにあるということです。
本当のことがわかるには「数字で本質はわからない」ことに気付き、
その他の側面を知っていこうとするしかないのです。